一点物について考えてみる ~その2~ [読み物]
前回からの続きです。
ちょっと毒づいてますが、その点はご容赦・・。
次に、上手になりたいなら人の物を作らなくてはという話です。
ボクが勝手に思っていることですが、人の物を作ることで、今までの自分のスタンスとは違った視点が必要になってきます。
相当「面の皮」が厚くない限り、自分の作っているモノを相手がどう思うかを考える機会が多くなるのです。 ボクはこの時点で、考え方にいろんな変化がありまして、自分を少し外に置いて、第三者的な見方を頻繁にするようになります。
例えば、自分のための妥協は極端に減り、「ま、いっか」から「これで良いかなあ」というスタンスになり、作り手の立場だけでなく、使い手のそれで考えるようになるのです。
今までは、自分に妥協して仕上げられていたものでなくなるわけですね。こうなりますと、いわゆる自己満足であった部分が消え、極端に基準が上がっているのであります。
そして、そんな心理状況になりますと、前記した「自分の作った物が上手に見えるうちはまだまだ」と思えるようにもなってくるのでありまして、今までとはまるで違う感覚で、モノ作りに向かうことになるのではないでしょうか?
余談になりますが、こんな経験をしない方もいるのは世の中の常ですがね・・。ある意味、幸せかなあと・・・。
さて、こういう状態になりますと、様々な情報が欲しくなりましてね。正直、自分の考えだけでは不安な部分がありますからね。
ということで、ボクは情報を集めることに力を入れました。
実は、ボクのリールの知識なんて、たいしてないってことにおかげで気づきましてね。 当然、そんな頭でデザインをするのは冒険も甚だしいわけでして・・・。資料を集めて、断片的であったリールの知識を、時間軸も加えて知るように心がけました。
同時に、自分の作った作品を人に見てもらい、評価されることもやってみました。
特に衝撃的だったのは、よく行くショップのマスターでしてね。
「いいんじゃない~手作りっぽくて」と言われてしまいました。つまり、箸にも棒にもかからないレベルの作品と評されたようにボクには思えましてね、次の目標は、このマスターにダメだしされようなんてことにしたくらいでしてね。
おかげで、しばらくの間、ポケットに新作を入れてショップに行き、おもむろに取り出して意見してもらうということを続けまして、ようやくだめ出しをいただけるようになりました。 それから貴重なコレクションもじっくり見せていただきまして、非常に勉強になりました。
少し、話が変わりますが、リールを作るためには、いったいどこが重要なのかボクなりに考えることを書いてみたいと思います。
今なので言えますが、リールを作ってきたなかで、最も需要になるのはデザインであると思います。
つまり、企画の部分です。
今までのボクの経験上、どういうスタイルのものを作るのかということをしっかり考えておかないと、できあがった品物は高確率で妥協の産物になってしまうのです。さらに、デザインを具現化するために設計もしておかないと、部品が収まらなかったりするのでしてね。ボクの場合、行き当たりばったりで制作された作品にはろくなものがない・・・のであります。そんなわけで、けっこうデザインと設計には時間を割いて創作活動をしています。
今まで触れてきたとおり、リールに限らず作品を形作る最大のファクターなのは、デザインのコンセプトがしっかりしていることだと思います。そして、それを実現させるために必要なのもののひとつが加工技術ではないかとボクは考えます。 ボクの考える加工技術とは、きれいに仕上げるとか、効率よく作り上げるとかのことで、作品の直接の価値を決めるモノではないということです。
一般的な物を作る課程では、デザイナーさんとかがデザイン(企画)をして、加工技術を持っている工場とかで加工してできあがります。 機能を持つ道具では、技術開発→デザイン→工場 という流れもありますね。それぞれの技能を持った人たちが、リレーをしながらものを作り上げていくのであります。 そして、我々とか、職人さんの作る作品のように、ごく少数の人が企画から生産までした品物もあるわけです。
さて、この2つの品物の差はなんでしょうか? 比較する品物にもよると思いますが、たぶん、できあがった品物だけを見たら、きっとわからないものが多いと思います。ボクの作っているリールなんて、特にそうでしょうね。 同じように工作機械を使いますし、道具ですから、機能の部分については、一定レベルをクリアしていないと通用しませんからね。
ボクは思うに、生産される品物が企画される段階では、大工場でも個人の職人でも変わりがないのです。ただ、それが生み出される課程に違いがあると思います。
量産されている製品は、需要がたくさんあるので、量産することができてコストも下げられるので、量産されるのです。 しかし、そういうところにいない品物でも、少しは需要があって、それを欲しい人もいるのでありまして、それを作ろうとするときは、零細なところで、少しだけ・・・ということで対応しているのが通常でしょう。
少しだけ作るということは、当然コストがかかりますから、割高となるのですが、それでも商品として成り立つ場合があるのは、少量生産品ならではの付加価値があるからに他なりません。ボクにはマスプロダクトに対するアンチテーゼも少なからずあるので、このへんの需要もあるのですが・・・ここではその話題は避けたいと思います。はい。
少量生産品の場合、デザイン(企画)した人と、作成する人が同じとか、ごく近い状態で生産されるので、作成者の思い入れとかが製品に反映しやすい。そのため、量産品にはない「なにか」を持っていることがあげられます。そして、量産品のようにコストカットするために捨てられる部分も少ないのでありまして、そういったことで、差が見られるのでしょうね。
このあたりの差というのが、前記した言葉を使うと本質的な「呪い」になるのでして、これが、作品からにじみ出て、一部の人の心をくすぐるのだと思います。
何も言わなくても匂うと言ったら良いでしょうかね。 実際、リールスミスの先人たちの残したモノには、そういう雰囲気をボクは感じるのです。 正直かくありたいと思っております。
さて、このへんで、一点物について言ってみたいと思うのですが、ボクは、前記したような、通常の作品を作っているところ(個人の作家でも、マスプロダクトでも)で生み出されたのでなければ、スペシャル品としての一点物は成立しにくいと思ってます。
言い方が悪いですが、行き当たりばったりで一点物ばかり作るのが一番簡単ですからね。逆に、一点物で終わってしまう可能性もあるわけでして・・。
ボクの言葉ではありませんけど、道具を作っている者としては、「一点物を一点物として終わらせない」のは、作家の義務になるのではとさえ思います。
作家と言うなら、当然、モノを作って、幾ばくかの代価をいただいているのですから、自分の作るモノには責任が伴います。 自分の作品を気に入ってくれたお客さんが同じモノをもう一つオーダーしたら、当然、作家は作らなくてはいけないのです。
最初の話題に戻りますが・・少なくとも、ボクは一点物を語るときには、すでに、たくさんの作品を世に出していて、それ相応のスキルが証明されていないと、一点物なんて言えないなあ~と思っているのです。だから、ワンオフとか一点物を作るようになるには、そうとうがんばっていないとできないと思うわけです。
一点物だから、その作品を作るときに苦労したとか、腹が減っていたとか、靴下に穴があいていたとか・・・そういうことは、手にいれた人にとっては関係のないことですからね。
本質は、できあがった品物が、手に入れた人をどれだけ満足させられるかだと思います。それがなんと言っても一番重要。
ただし、その品物に付随する物語としては、苦労して、心を込めて、世界に2つとないとかの言葉がちりばめられているほうが良いとは思いますよ。 だって、ボクのような零細の場合は、自らの手を動かさなければできあがりませんからね。
だから、「旧式のマニュアルの工作機械に日々向き合って、ひとつひとつ丁寧に作ってます」と言います。それは本当だから。
そして、ユーザーを満足させられるの品質の作品を、少量ですが量産もできる作家を目指して、日々修行中でござます。
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